イスラエル国立劇場での他加子の足跡

イスラエルへ!
 
第一幕での蝶々さん

イタリアには92年から住んでいますが、もちろん初めは勉強あるのみ!!!でしたが、少しづつ少しづつ歌う機会も増えていきました。
小さな役でボローニャの歌劇場にも出させていただいたり、ヴェローナの劇場で研修したり、本当に色々な経験をするチャンスに恵まれて来ました。
そして日本人として『蝶々夫人』を歌える声を持っていることには、いつも神様に感謝しています。初めて蝶々さんを歌った日から、毎回「更に成長した演奏を」と心がけて歌ってきました。
そして、2003年の5月のある日。
色々受けてみたエージェントのオーディションで唯一「蝶々さんなら」と言ってくれた所からの1本の電話は夢のような内容でした。
イスラエル国立歌劇場。
昔からドミンゴファンの私はすぐに「あ、ドミンゴがキャリアをしたところ!」とミーハーな事を考えてしまいました。(笑)
さて、まずはそのテル・アヴィヴの劇場での蝶々さんの登場のシーンをご覧下さい。
このイスラエルへの珍道中、本当に"生まれて初めて"だらけの15日間をご紹介していきます。
 


イスラエル入国

忘れもしない、2003年5月15日。私は未知の国(大げさな!)イスラエルはテルアヴィヴへ向けて早朝ヴェニスの空港を発ちました。
連絡では「空港のアリタリアカウンターにチケットがあるから、『朝5時に』引き取ってくれ(ちなみに飛行機は7時発)」と言われ、主人と共に、眠くて半分死んだような状態で空港へと車を走らせました。
しかし!アリタリアはさすがです。
チケットカウンターは6時まで開かないという表示。やられたー!!!
幸い飛行機は定刻で出発、まずはミラノで乗り換えです。
普段は日本へ行く時くらいしか使わないマルペンサ空港ですが、テルアヴィヴ行きの登場口は、黒い帽子に黒いスーツ、もみ上げからクルクルと下がった長い髪・・・という特徴豊かなユダヤ人の旅行客がたくさんいました。後で知ったことは、この独特な風貌のユダヤ正教徒はイスラエルよりもアメリカの方が多いのだそうです。確かに彼らはテルアヴィヴの入国審査でアメリカのパスポートを持って並んでいました。
さて、約4時間あまりのフライトでテルアヴィヴの空港に到着。ここの入国審査で私は生まれて初めて冷や汗をかきました。
日本人でイタリアから来た、というところがネックだったようで、あれやこれやと英語で(!)説明し、最後にはイタリアの滞在許可証やIDカードなども出させられ、なんとか無事に入国する事が出来ました。多分5〜6分の出来事だったのでしょうが、私には20分くらいかかったように感じました。
その後、荷物を引き取り、タクシーでとりあえず劇場へ。
車窓から見るテルアヴィヴの街は、夕方だったこともあり少し荒涼とした印象がありました。考えてみると、砂漠の上に出来た街ですから、そういう雰囲気があっても当然なのかも知れません。
近代的な外観の劇場に着き、挨拶もそこそこに連れて行かれたのはビデオのあるお部屋。
今回の『蝶々夫人』は何年も前に作られたプロダクションの作品で、その過去の公演の録画を見せて演出をザーッと覚えさせようと思ったようです。その映像の主役のソプラノはスーザン・ブロックだと教えてくれました。おぉ!聞いた事ある名前だ!!!
ちなみに公演の初日は7日後!。
もちろん翌日からつめこみでの演出稽古が始まったのは言うまでもありません。

さて、2時間余りビデオを見た後、ようやく滞在先のアパートへ連れて行ってもらう事になりました。劇場の演出助手の女の子がそのアパートの近くに住んでいるからということで親切に連れて行ってくれ、荷物を置いた後、「何か食べるものを買わないと」とわざわざスーパーへも連れて行ってくれました。
ここで、世の中を知らない私にビックリする事が起きました。
スーパーは、とあるショッピングセンターの地下にあるのですが、まずそのセンターに入る入り口にガードマンがいて、金属探知機を手に入店者の身体や手荷物を調べているのです。同行してくれた彼女は「いつもの事よ」と笑っていましたが、ここで緊張度の目盛りが一気に上がりました。更にスーパーの入り口でも同様の検査!
住人達には当たり前のことだろうと思い、私も心の動揺を隠して買い物をし、アパートへ帰りました・・・。しかし、後日、これはまだまだ序の口だという事が発覚したのですが・・・。
劇場が用意してくれたアパートは2LDKのエアコン付きの居心地の良いもので、劇場から徒歩10分程度のところにありました。
荷物を片付けて家に電話をして、ようやく長かった1日から開放されました。
翌日からのハードであろう日々を想像しながら、ビデオで見たシーンを思い浮かべながら、眠りにつきました・・・。
 
蝶々さん登場のシーン                                                                                                                           


リハーサル開始!

翌16日の朝からリハーサルが始まりました。
まず午前中は第1キャストの舞台での衣装付きの通し稽古。私は見学するように言われ、楽譜を片手に演出をチェックしながら見ていました。
劇場のスタッフ達が着いたばかりの私に親切な笑顔を投げかけてくれ、私も少しづつ緊張がほぐれていきました。
演出は今までの私の経験の中では新しい感覚のもの。
まず、音楽が始まる前にピンカートンの回想シーンといった趣で蝶々さんが登場します。
そして、舞台の上には大きなテーブルが置いてあり、第1幕は殆どその上で歌います。
第二幕は衣装も洋装で、結構動き回ります。ピアノのようなものも置いてあるのですが、その上に上って歌うシーンもあって、ビックリしました。
全体的にとても美しい舞台だという印象を持ちました。
変わった演出、と一言で言ってしまえばそれまでですが、音楽の美しさとしっかりマッチした趣味の良い演出でした。
特にハミングコーラスのシーンは舞台上に登場人物がゆっくりと全員登場します。
私は初めてこのシーンを見て、何故か涙が止まりませんでした。蝶々さんのその時の心情をそのまま表現しているように感じたからです。
その場で共演者の何人かと挨拶を交わし、お昼ご飯もそこそこに、午後は別室で私一人の演出の稽古でした。
指揮者が2人居たのですが、両者とも「どんな歌手が来たのだ?」という雰囲気でやってきて、登場のシーンを教えてもらいながら歌ったら、安心したようにさっさといなくなってしまいました。
ところで、この稽古、全く途中の変なところで「今日はここまで」と言われて終わってしまいました。その日は金曜日。そうです、ユダヤ教の国は金曜の午後からお休みになるのでした!!!土曜日は私達の国で言う日曜日に当たり、スーパーもお休み!
「未知の国だ」と思い込んでイタリアからパスタを持ってきた私は、その週末は何とか生き延びました・・・。
さて、その日の夕方に劇場のマネージャーから電話があり、「今夜アーチストディレクターのマイケルから電話があったら、明日の朝劇場で行なわれるお客さんのためのイベントで歌ってもらう事になるかもしれないから」と言われました。
「????」という感じで居たら、夜になって確かに電話があり、「明日の11時から劇場がお客さんの為に催しているオペラの説明会があるので、そこで『ある晴れた日に』と2重唱を歌ってちょうだい」と言われました。
私、ドレスも何も持っていませんが・・・と言ったら「少し綺麗な格好で来てくれれば良いから」と言われてしまい、仕方なく普通のワンピースで出かける事にしました。

一夜明けて17日の朝、劇場へ行くとイスラエル人のピンカートン役に「僕達、今日デュエットするからちょっと合わせに行こう」と練習室に引きずられていき、終わったらもうイベントの開演時間。
私は何がなんだか良く分からない状態で舞台袖に連れて行かれ、その時知ったのは私以外の出演者はみんな衣装をつけていることでした!!!
さらに舞台装置もきちんとあって、みんなはハイライトシーンを演技つきで歌うとの事!!!!
オマケに、その場で「もう一人のソプラノが疲れているので幕切れのシーンもやって欲しい」と言われ大パニック!!!!
アリアやデュエットは何となくその場で歌えば形になりますが、幕切れのドラマチックなところは演出ナシでは感動が伝わらないではないか・・・!それに私はワンピース姿!
結局、上から白い着物を羽織り、ビデオと通し稽古で何となく動きを確認していた私は、その記憶を頼りに必死で歌い、演じました。
結果、それで評価が決まったようなところがあったようです。
演出部門のスタッフには「いつ覚えたの?」と驚かれ、マイケル氏や指揮者の応対も一気に親切になり、ある意味、劇場側が安心してくれたようでした。
その後、お昼ご飯に劇場内のレストランへ行ったら、ピアニストなどのスタッフも食事中で、一緒に食べようと声を掛けてくれ、とても嬉しかったです。
昼食後は舞台上で演出の稽古の続き。この日はピットに指揮者のダン・エッティンガー氏も居て、演出と音楽稽古が同時進行でした。

長い一日でしたが、思い返すと初日以上に興奮した日だったかも知れません。
 
 イスラエル国立劇場での『蝶々夫人』、ハミングコーラスのシーン。


契約書、そして、びっくりゲネプロ!

17日の夜、残念ながらイエルサレムでバス爆破テロ事件が起きてしました。
当時はわりと穏やかな状態だったイスラエルでしたが、この日を境に厳しい事態に陥ってしまったようです。
翌18日の朝、私は少し不安を抱えながら、でも目の覚めるような青空を眺めながら劇場へ向かいました。
ハードな一日の翌日はもっとハードでした。(^^;)
午前、通し稽古。これは衣装も付けて本番と同じように舞台で通す稽古ですが、必要があれば止めて返したりする稽古です。
前日までに詰め込まれた演出を必死で整理しながら無我夢中で歌い、演じました。
なんとか無事に終了し、指揮者のダメ出し(稽古を通して注意するところなどをまとめて言われたり、練習したりする)の時には、初めて顔をあわせる共演者ときちんと挨拶したり、少しづつ和やかなムードに慣れてきました。指揮者にはオーケストラにも紹介してもらって、温かな拍手も頂きました。
それが終わるとアーチストディレクターに彼の事務所に呼ばれました。
主役として生まれて初めて劇場との契約書です。ドキドキしながらサインをして、これで本当にここの劇場で蝶々夫人を歌えることが確定したのです。公演は3回。1回目は5月21日で、初日が20日だから2回目の公演が私の初日という事になりました。
さて、午後も演出の稽古の続きです。
通し稽古はしましたが、細かなところでまだ出来上がっていない部分があり、翌日のゲネプロに向けての最終稽古に夜まで熱が入りました。

19日月曜日。今日はゲネプロだけです。
衣装を着けて楽屋でおさらいをしていたら、オフィスの人が「タカコ、今日のゲネプロはお客さんがたくさん入るんだけど、申し訳ないけど音楽が終わると同時に避難訓練をしなくちゃいけなくなったので拍手ナシだけど勘弁してね」と言いに来ました。
避難訓練?!仲良くなった演出助手のユリアに訊くと、やはり一昨日のテロ事件のせいでもあるようです。あの日以来、スーパーやショッピングセンターのチェックはもちろん、普通のレストランや喫茶店の店先にもガードマンが立つようになり、物々しい雰囲気を感じていたので当然のことだな、と思いました。
ゲネプロは概ね上手く行き、予定通り避難訓練に突入しました。私達は劇場の一角にあるレストランに誘導され、座って終わるのを待っていました。その時に共演者の一人が私に「君は素晴らしい演奏をしたのに拍手も受けさせて上げられなくてゴメンね。ヒドイ国だよね」と。私は彼の言葉になんと答えてよいか詰まってしまいました。
イスラエルに住む人たちは、お店に入る時に荷物検査をされる事に慣れているとはいえ、やっぱり一日も早くこんなゲネプロをせずに済む日が来る事を心底願っているのだ、という当たり前の事に改めて気づかされました。
私にとっても多分、こんなゲネプロは一生ない事でしょう。

翌20日は公演初日。私はようやくオフ日です。
木曜日に到着し月曜日までの怒涛のような日々から少しだけ解放されましたが、やっぱり演出のチェックの為に公演を聴きに行きました。
終演後、スタッフたちに「明日は君の番だね、ゆっくり休んでね」と声を掛けられ帰宅。少し興奮しているせいか、なかなか寝付けませんでしたが、意外に不安はなく、自分の図太さに驚きました・・・。
さぁ、明日はいよいよ本番です。
 
第1幕2重唱の場面。相手役のテノールはマリオ・カラーラ氏。彼はイタリア人で、英語も堪能だったので、随分と助けられました。ゲネプロのみイスラエル人のテノールと歌いましたが、本番は3回とも彼との共演でした。



初日、そして、思い出。

5月21日。今日はいよいよ私にとっての初日です。楽屋にはプログラムの他に劇場支配人からのメッセージ付きのバラの花、演出助手のユリアからは「Toi-Toi-Toi」のメッセージが置かれていて、感動です。プログラムにはギリギリで来た私の写真まで載せてもらえてまた感動でした。
2時間前にメイクさんの所へ行くように時間割はキッチリしています。
メイクさんは緊張をほぐしてくれるかのように笑顔で話しかけてくれます。カツラも付けて楽屋へ戻ると衣装さんが現れ「開演30分前にまた来るわね〜」といって他の人の楽屋へ。だんだんと空気が盛り上がっていきます。
共演者達に「今日はよろしく」の挨拶をしたり、楽譜を見直したりしているうちに、また衣装さんが戻ってきて、衣装を着るのを手伝ってくれます。
この演出は蝶々さんの着替えが多く、手順を確認して準備OKです。

いよいよ開演。スタッフの皆さんの笑顔に送られて舞台袖へ。指揮者が登場し拍手が聞こえます。どうやら満席らしいお客さんの様子が拍手から感じられます。
そして、つぎの瞬間から約2時間40分、私は文字通り「無我夢中」。
プッチーニの音楽と演出とに集中するしかありませんでした。
カーテンコールでは、まず最初に私一人を幕の外へ。こみあげるものを笑顔で押さえて、たくさんたくさん、ありとあらゆる人に感謝の念を送りました。
全員でのカーテンコールも終わり幕が閉まった舞台裏で、共演者同士で称え合う一時、本当に夢のようでした。

テル・アヴィヴという遠い国で、音楽を通して出会うことのできた人達、得る事のできた喜び、あの日々をイスラエルの抜けるような青空と共に、私は一生忘れることが出来ないでしょう。
今でも思い出すとあの時の感動が新鮮なまま蘇って来ます。
イスラエルに平和な日々が訪れ、人々が心から音楽を楽しめる時が来ることを願ってやみません。
そしてあの美しい劇場でまたいつか歌えますように!
 
スズキとの別れの場面。スズキはズヴェトラーナ・サンドラーさん。舞台が終わった後はいつも彼女とテノールのカッラーラ氏とユリアとで、ビールを飲みに繰り出していました!(^^)



イスラエル、入国に負けず劣らず大変だった話。

さて、オペラの話は終わりなんですけど、イスラエルという国は入国のみならず出国も大変だったお話を少し。
帰りは劇場が「当劇場に出演した身元のしっかりした人」というような証明書を「空港で何かあったら見せるように」と持たせてくれたので、結構気分的には余裕でいた私。
しかーし!!!! 甘かった・・・。
まず空港に到着(出発が午前五時で、空港に着いたのは午前3時頃・・・。)して並ばされた列は「全ての」荷物検査。
普通の空港ではチェックインを済ませて搭乗口に向かう時にX線の手荷物検査がありますが、この空港ではチェックイン前に全ての荷物をX線に通して調べます。見ていると殆どの人がスーツケースを開けられて調べられています。
そのせいで長蛇の列。
唖然として見ていると、前に居たイタリア人のジャーナリストと言う人が「初めて?ここはいつもこうだよ。彼らはもう30年以上もこういうことをしているんだ。やっぱりテロは怖いんだね」と教えてくれました。
見ていると親子連れのお母さんの靴まで脱がせて調べています。
今更ながら、この国の情勢の厳しさをヒシヒシと感じました。
40分ほど並んでようやく私の番です。
手荷物はOKでしたが、スーツケースでやはり引っかかりました。
正直な話、なーんにも怪しいものは持っていなかったのですが、無理矢理締めたものをまた開けるのかとちょっとウンザリ。しかし、開けないわけには行きません。
さて、係員は私のスーツケースのどの変に怪しいものがあるかを既にチェックしていたようで迷わず手を突っ込み、引っ張り出したもの、それは・・・!!!!
市場で買ったラズベリーのジャムでした。一緒に買い物に行ったテノールが「これ、喉に良いんだよ」って教えてくれたので買ったものでした。
大事にタオルに包んでビニール袋に入れてあったのですが、係員もジャムだと言うことが分かった瞬間「うっ」っと思ったようですが、そこは任務を遂行しなければなりません、再びX線に通しに持って行き、「ハイ結構です」と返してくれました。
笑いたいのを必死でこらえて、立ち去った私です。
その後、チェックインを済ませて搭乗口に向かう時に待ち構えていた出国審査。
劇場の書いてくれた書類も出して出国審査はスムーズに行ったのですが、その直後の2回目の手荷物検査が誤算でした。
最初の検査でノーチェックだったので余裕で検査場の向こうに見える免税店の灯りをワクワクしながら眺めていた私でしたが、なぜか手荷物が引っかかり、パスポートも搭乗券も取り上げられて「そこで待つように」と言われてしまいました。
黄門様の印籠のごとく取り出した劇場認定の書類も役立たず。更には調べなければならない荷物が山のように溜まっているようで、一体いつ順番が回ってくるかも分からない状況でした。しばらく立って待っていた私ですが、さすがに前の日から寝ずでいるのため、立っているのもくたびれて来て、その辺にあった椅子に座ってふてくされていました。
たっぷり15分も経った頃、まだ私の荷物はそのままの状態なのに係員が近づいてきてパスポートと搭乗券を渡され「行っていいわよ」と。
なに〜〜〜〜ぃ?なんなの!?コレだけ待たせたんだから調べてよ〜〜〜!
と言いたくなるのを飲み込んで、更にふてくされてその場を立ち去りました。
時計を見ると既に搭乗時間の10分前!!!!
目の前に広がる免税店の中を駆け巡りました。
予定ではゆっくりとお土産でも買うつもりだったのに、全く時間がなかったのは言うまでもありません・・・。(涙)

本当に細かなことまで印象深く覚えている旅です。
大変だったけど、やっぱり私には大切な転機になった旅だったからでしょう。
早く情勢が落ち着いて、今度は本当にゆっくりとあちこちを旅してみたい国です。
あの青空は本当に美しかった・・・。

教訓:イスラエルの空港には免税店がたくさんあって買い物のし甲斐があるので、できるだけ早く空港へ行きましょう。

蝶々夫人、終幕の自害のシーン

copyright 2012 System-authoress Tomoe